ユングの『タイプ論』の淵源をたずねて 4
ヒポクラテスの「四体液説」
前回ご紹介したエンペドクレスの「四大元素説」は、 紀元前400年前後に活躍したギリシャの医者ヒポクラテスに引き継がれました。それが、「四体液説」という考え方です。
ヒポクラテスの「四体液説」は、エンペドクレスの「四大元素説」のフレームワークを応用し、人間は、血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4つの体液を持ち、その体液のバランスしだいで、健康で合ったり病気になったりする、という説。4つの各体液の説明の詳細は省きますが、ここで注目したいのは、ユングのタイプ論におけるキーワードである「バランス(調和)」いう概念がすでに現れていることです。ユングのタイプ論の場合は、知覚機能と判断機能がバランスよく外向・内向をするのが、健康な心の状態としたことをおもいだしてみることができるでしょう。ちなみにヒポクラテスは、ユングも同様なのですが、人間は、全体性(ホリスティック)な存在とみなしていると、その著書「人間の自然性について」の中で述べています。体液のバランスが崩れる原因は、体質、生活環境、食事などとも語られていて、ヒポクラテスは、臨床と観察を重んじる経験科学の道へと、医学を発展させるという重要な功績が今も賞賛されています。
この「四体液説」は、その後、アリストテレスに引き継がれ、展開されました。それは、「四大元素説」もしくは「四性質説」とも呼ばれ、「熱・冷・湿・乾」の物の性質と関連付けられて論じられました。すなわち、血液は「熱・湿」の性質を、粘液は「冷・湿」の性質を、黄胆汁は「熱・乾」の性質を、黒胆汁は「冷・乾」の性質をそれぞれ持っていると、概念的にかんがえられ、そこから、気質や性格といったものも考え出されていったのです。
この概念の追加は、別に「気質」「性格」といったものを4つのカテゴリーに分類してみることにもつながっていきます。たとえば、
体液 |
元素 |
性質 |
気質 |
性格 |
血液 |
空気 |
熱・湿 |
多血質 |
社交的、楽天的 |
粘液 |
水 |
冷・湿 |
粘液気質 |
おだやか、公平 |
黄胆汁 |
火 |
熱・乾 |
胆汁質 |
熱血、野心家 |
黒胆汁 |
土 |
冷・乾 |
憂鬱質 |
思索的、孤独癖 |
古代からの人間への興味、人間を理解したい欲望と人間観察の目が、このような対応関係を創りだしたといえるかもしれません。
さて、さらに古代ローマ時代にさかのぼり、紀元2世紀ころ、ガレノスは、ヒポクラテスの医学の考え方をまとめ、後世に伝えた功績でしられます。この考え方は、中世ヨーロッパ、ルネサンスを通じ、近代の入り口まで、人々に影響を与えつづけました。
ところが、近代がやってきたところで、この「タイプ論」の考え方は、産業革命をもたらした科学の方法と相容れず、ごく少数派となってしまいました。すなわち、対象が自然であれ、社会であれ、人間であれ、科学万能主義――科学の方法――によって、対象化した「もの」として理解しようとする近代という時代が訪れたのです。
(以下、次回へ)